-
礼拝メッセージ
4/14礼拝
召天された方を思い返すとき、神に贔屓(ひいき)され、恵みの中を歩んだと思える人がいます。苦しい道のりの人生であるとき、それが際立つ様に思います。そして、その人生の中に、神の祝福があったと気付きます。なぜ神の贔屓があるのでしょうか。自分は贔屓されることがあるのでしょうか。祝福の源流であるアブラハムの生き方を通して、見て行きます。 -
礼拝メッセージ
4/7礼拝
イエス・キリストが十字架にかかられたことは、新しい社会や救いを待ち望んでいた人々にとって、大きな悲しみであり失望でした。それ以上に、いつも自分たちの前を歩んでいた主を失ったことは、弟子たちにとっては絶望であり、恐怖でした。どうしたらよいかわからず、人目を避けて集まっていた彼らに、主は自分が生きていることを示されました。それを弟子たちが受け止め、理解していくために、彼らが慣れ親しんできた状況を主は用いられたのです。主が彼らの前からおられなくなった時、彼らができたことは、主に従う前に行っていた漁でした。全く魚が取れない状況は、最初の主との出会いを思わせました。そんな時、岸から「舟の右側に網を打ちなさい」と声がかかったのです。彼らはその言葉に従い、153匹の大きな魚が網にかかりましたが、網は破れませんでした。弟子たちにとって、彼らの日常に力強く働く神の御手は、慰めと力に満ちた恵みでした。神はわたしたちが、神に従い特別な生き方をしているから用いられるのではなく、わたしたちの日常の歩みの中に声をかけ、そして神のたしかな存在をあらわしてくださいます。主は遠く離れた方ではなく、わたしたちのすぐそばに寄り添い、的確な導きを与えてくださる方なのです。 -
礼拝メッセージ
3/31礼拝
キリスト教の暦中で、もっとも重要なイースターですが、ここには、キリスト教の真髄が詰まっています。 1.神に、自発的にゆだねる 十字架上の最後の言葉から、信仰者の究極の姿勢が伝わってきます。教えとして書かれているからではなく、誰かに言われたからでもなく、自発的に神にゆだねることが、イエスが示した信仰者の姿です。神は聖書を通して、人がそのようになることを願っていると伝えています。そして、信じるものがそう成れるように、イエスは十字架の苦しみを受け、自発的にご自身を神の手にゆだねました。 -
礼拝メッセージ
3/24礼拝
イエス・キリストの公の生涯は、メッセージと神の奇跡、そして人々との交わりでした。その交わりは、選ばれた十二人の弟子を中心に多岐にわたります。十字架にかかられる前、主は自分が去った後のことを思いながら、力と望みに満ちたメッセージを弟子たちに残されました。しかし彼らはそれをすぐには理解することができずに、それぞれ悩み苦しむことになります。 -
礼拝メッセージ
3/17礼拝
十字架につけられたイエスの話を理解するのには前提となる知識があります。一つは、イエスは無罪であること。ローマの法律(国の秩序)と、ユダヤの法律(宗教的)のどちらも、犯していませんでした。二つ目は、この出来事は過越し祭り中のことであり、イエスは過越しのいけにえとして十字架につけられたということです。過越しとは、出エジプト記12章に書かれていますが、エジプトにさばきが下るとき、いけにえの血を門柱と鴨居に塗ったイスラエル人のところは、神が過越し、さばきを逃れたということです。イエスは、人を神のさばきから救うため、いけにえとなりました。 -
礼拝メッセージ
3/10礼拝
東日本大震災から13年がたとうとしています。けれども災害はその後も絶えることなく、地震、豪雨、突風だけでなく、伝染病や、争いによるテロなども身近な現実となってきています。皆さんにとって、思いがけない状況で巻き込まれる災害とは、どのようなものでしょう。聖書には人が遭遇した災害が記されていますが、自分ではどうすることもできない自然災害よりも、人の手によって与えられる暴力のほうが恐ろしく感じます。たといそれが飢饉や、病により始まったものであっても、自分や家族、部族や国を守るために他者を傷つけることは許されるのでしょうか。わたしたちが一つの基準を持つと、違いからくる対立が生まれ、自分の正しさを疑わない人は他者を裁き,否定する人になってしまいがちです。神の思いは、イエス・キリストの十字架を通して私たちに届けられています。だからこそ、キリストを通してわたしたちの思いをはるかに超える神の思いを知り、人を裁くのではなく神の約束を信じて平安を得ようではありませんか。 -
礼拝メッセージ
3/3礼拝
春になり、新たな環境へ移る方もいるでしょう。そうでなくても、心機一転、スタートする方も多いことと思います。アブラハムは、ロト家族が住んでいた町が滅ぶのを見た場所から、ネゲブへ移住しました。それは、ロト家族のことを思い、生くる甲斐もなしと落ち込んだからでしょう。 -
礼拝メッセージ
2/25礼拝
早いもので、もうすぐに三月になろうとしています。能登半島の地震から始まった日々も、現地の方や関係のある人々以外は、急速に他人ごとになってきているような気がします。東北で経験した震災もいまだにその影響が続いていますが、意識していなければ、その時の不安や恐れ、困難だった日常を忘れてしまいます。私たちの生きている世界には、まだまだ私たちの知らない思いもかけない現実や、人の知恵では解決できない課題があふれていることを思うときに、神がイエス・キリストを通して与えてくださったメッセージは、大きな慰めであり力です。 -
礼拝メッセージ
2/18礼拝
ロトとその家族が登場するシーンは、今日の箇所が最後です。娘2人が、ロトの子を身ごもって終わります。ロトは人生の選択の折々で、神に信頼しない様に見え、今日の箇所も含めた結果により、その信仰は酷評されてきました。しかし、新約聖書では、ロトを義人や正しい人と評し(2ベテロ2:7)、悪く言っているようには見えません。ロトの素行は良くなかったかもしれませんが、その歩みは、イスラエル民族や私たちクリスチャンとよく似ていることに気付きます。それなのに、主がロトを愛し続けたことは、主に従いきれない私たちにとって、慰めと励ましなのではないでしょうか。
