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礼拝メッセージ
8/18礼拝
御使いに導かれ、リベカと出会ったアブラハムのしもべは、リベカをイサクの花嫁として迎えるために兄のラバンと交渉しました。そして、すぐに帰ろうとします。 -
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8/11礼拝
聖書はわたしたちに、自分の価値観ではなく神の視点によって生きることの大切さを教えています。自分が一人で生きているわけではないことをわたしたちは知っていますし、互いに認め合い、受け入れ合うことの大切さも知っています。しかし家族や友人など、身近な人々を愛し受け入れることが出来ても、文化の違う他国の人々や考え方の違う人々を知らず知らずの間に遠ざけ、区別し、切り捨ててしまいます。それは限られた空間や限られた時間を生きるわたしたちにとっては、仕方のないことなのかもしれません。わたしたちは、世界の造り主である神の前に出ることによって本当の自分の姿を知ることになります。力や知恵だけでなく、肉体も弱く、神の目から見たらの一瞬の存在でしかないことを思い知らされます。だからこそ、どんな時にも変わることのない神を土台にして考え行動することが、どんな中にあってもぶれることなく確信をもって生きるために必要なことなのです。 -
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8/4礼拝
アブラハムは、あらゆる面で祝福されていても、息子イサクには妻がいませんでした。祝福されてても、困難や試練が無くなるわけではないことが、このことから分ります。彼らは、この困難をどうやって乗り越えたのか、見て行きましょう。 -
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7/28礼拝
神は、旧約の時代にはモーセを通して律法を与え、人が罪のゆえに死ぬことがないように導かれました。新約の時代にはイエス・キリストを通して、神の前の人の罪を示し、それを赦されることによって知ることのできる神の大きな愛を教えてくださいました。人は神を知らなければ、自分の経験や考えをもとに人を評価し裁いてしまいます。また神の愛を知っており、自分が赦されていることを知っていても、つい人に対しては厳しく接してしまうものです。 -
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7/21礼拝
聖書には、主へのささげ物のことが何度も出てきます。ささげ物による仕組みは、キリスト教の根幹です。私たちを救うイエスの十字架は、主へのささげ物の集大成です。ですので、ささげ物が解ると、十字架の意味が解り、聖書が伝えようとしていることが、より明確になります。ささげ物で、もっとも良いものは、「全焼のささげ物」(燔祭)です。そして、ささげ物の入り口となるのが「罪のきよめのささげ物」(罪祭)(4章)です。 -
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7/14礼拝
イエス・キリストがこの世界を歩まれたのは、二千年以上も前のことです。その時 主がご覧になった世界と、いま私たちが見ている世界にはどんな違いがあるでしょう。国が変わり、生活が変わり、考え方もその習慣も多様化し、おそらく格差が著しく広がったと感じる方が多いのではないでしょうか。 -
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7/7礼拝
サラの言動は、ときに夫アブラハムを苦しめました。また、信仰深い様子は見られませんでした。しかし、聖書はサラを特別な女性として扱っています。生きた年齢が書かれている女性は、彼女だけ。アブラハムが泣いたのは、彼女のためだけ。信仰を持っている人は、サラの子と言われます(1ペテロ3:6)。 -
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6/30礼拝
元旦の合同礼拝、そして地震で始まったこの年も、半分が過ぎようとしています。自然災害はもとより、人の営みによる政治や経済においても、何が起こってもおかしくない日常は、不安に満ちています。わたしたちの生活を一変させる出来事は、身近に溢れているのです。そのようなわたしたちに神は約束を与え、何ものによっても奪われることのない土台を与えてくださっています。 -
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6/23礼拝
アブラハムは、「独り子をささげる」という試練を通し、神に聞き従いました(18)。その結果与えられたのが、主の祝福の誓いです(16~18)。この誓いは、ヘブル人への手紙6章13節に書かれている主が自分にかけて誓った誓いのことです。
