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礼拝メッセージ
12/22礼拝
2024年も、救い主イエス・キリストの誕生を覚え、共にクリスマス礼拝を守れることを感謝いたします。今年は元旦の能登地震に始まり、世界中から災害や紛争ニュースが途切れることなく飛び込んできました。身近に起こる事故や事件だけでなく、わたしたち自身が経験する病や失敗も、わたしたちに不安や恐れを生じさせ、心を疲れさせてしまいます、皆さんはどうだったでしょう。 -
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12/15礼拝
御使いから、「聖霊が臨んで子が生まれる」(35節)と御告げを受けたマリアは、エリサベツが男の子を宿していることを聞き、彼女のもとへ向かいました。マリアがエリサベツを訪ねたのは、御使いが言ったことが、事実であることを確認し、神がなさろうとしていることを、分かち合う意味があったと思われます。マリアは御告げを信じていました(45節)が、偽の幻や勘違いではないことを確認し、事実として受け止めました。 -
礼拝メッセージ
12/8礼拝
クリスマスのときに良く聞く、「インマヌエル」はヘブル語で、「インマヌ」(共に居る)と「エル」(神)から出来ています。神が、私たちと共にいるために、イエス・キリストとして誕生したことは、まさに「インマヌ・エル」です。この言葉が書かれている23節は、イザヤ書7章14節からの引用です。そこには、処女が子を産むことは、ダビデの家へのしるし(サイン)だと伝えています。 -
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12/1礼拝
いよいよ今週から待降節(アドベント)に入りました。これは、イエス・キリストの誕生を記念するクリスマスを待ち望み、その大きな救いの御業を覚えると同時に、わたしたちの内に行ってくださった一つ一つの恵みを数え、感謝する時でもあります。みなさんは、どんな感謝をささげられるでしょう。 -
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11/24礼拝
イエス・キリストは、力ある言葉で人々を励まし、病をいやし、時には悪霊につかれた人から、悪霊を追い出されたこともありました。しかし人々は、悪霊がその言葉に従いさえする主を恐れ、主に去っていただくようにお願いしました。人々は主を理解し、喜ぶことが出来なかったのです。 -
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11/17礼拝
イエス・キリストの語られた種蒔きのたとえは、誰でも読めば理解し納得できるものです。しかも、後から弟子たちがその意味をたずねた時、主はその意味を解説もしています。しかし、ただ読めばわかることを教えようとしたわけではなく、神を信じる者がその信仰を働かせることによって理解できる、より豊かな信仰の在り方を教えようとされたのではないでしょうか。種が神の言葉であり、道端や岩の上、茨の中に落ちたものがどういう人たちのことを語っているかを知り、良い地に落ちた者の姿を学んだとしても、知識としての言葉ではなく、体験として神を知り、この世的な良い行いではなく、神の前の行いとならなければ、たとえ知ってはいても、表面的自己満足になってしまうのです。 -
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11/10礼拝
イエスと弟子たちは、群衆のいない、日ごろの喧噪から離れたところで向き合いました。この会話は、群衆への応対を迫られる忙しい時ではなく、イエスと落ち着いて向き合ったときにされたものです。神と向き合うこのような時間が必要だからです。わたしたちにも、このような時間が必要です。 -
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11/3礼拝
イサク家に生まれた2人の子は成長しました。エサウの「巧みな狩人」という表現からは、神に反抗したニムロデ(10:8)を想起させます。ヤコブの「穏やかな人」には、誠実や素直という意味が含まれています。エサウは野に出て行って個人で活動することを好み、ヤコブは社会の中で暮らす異なる性格となりました。 -
礼拝メッセージ
10/27礼拝
イエス・キリストの公の生涯は三年半と言われます。短いようにも思えますが、むしろそれまでの三十年にわたる学びと、主なる神による取り扱いは豊かで、それが父なる神の前に、ぶれることのない決断をもって十字架の道を歩まれる力となったことは間違いないでしょう。神の御心を伝え、赦しを告げ知らせられた主は、ただ教えられた知識としての信仰ではなく、人としてこの世を生きられた実際の経験に裏付けられた信仰を持っておられたはずです。そこには愛され、赦され、祈られ、支えられてきた、一人の人としてのイエス・キリストの姿を見ることが出来ます。
