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6/23礼拝
アブラハムは、「独り子をささげる」という試練を通し、神に聞き従いました(18)。その結果与えられたのが、主の祝福の誓いです(16~18)。この誓いは、ヘブル人への手紙6章13節に書かれている主が自分にかけて誓った誓いのことです。 -
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6/9礼拝
信仰の人アブラハムにも、試練が訪れます。それは、「独り子を全焼のささげ物として献げなさい。」というものでした。これはイエスの十字架の型です。このときのアブラハムの苦悩を通して、私たちは、イエスの十字架で神が負って下さった苦悩を垣間見ることができます。 -
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5/26礼拝
アブラハムとアビメレクは、2つの契約を結びます。一つは不可侵条約(22)、もう一つはアブラハムが掘った井戸の所有権を認める(30)。というものです。ゲラルの王、アビメレクは以前の経験から、アブラハムとともにいる神を恐れていたため、不可侵条約の締結を望みます。しかし、井戸のことについては知らなかったと言い逃れをします。 -
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5/12礼拝
生きていると、まさかという事があり、なぜ私なのかと思います。その理由を知ると、受け入れられなくとも、納得して希望を持ち楽になることがあります。今日の聖書箇所からは、そのような人生の仕組みを見ることができます。 -
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4/14礼拝
召天された方を思い返すとき、神に贔屓(ひいき)され、恵みの中を歩んだと思える人がいます。苦しい道のりの人生であるとき、それが際立つ様に思います。そして、その人生の中に、神の祝福があったと気付きます。なぜ神の贔屓があるのでしょうか。自分は贔屓されることがあるのでしょうか。祝福の源流であるアブラハムの生き方を通して、見て行きます。 -
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3/31礼拝
キリスト教の暦中で、もっとも重要なイースターですが、ここには、キリスト教の真髄が詰まっています。 1.神に、自発的にゆだねる 十字架上の最後の言葉から、信仰者の究極の姿勢が伝わってきます。教えとして書かれているからではなく、誰かに言われたからでもなく、自発的に神にゆだねることが、イエスが示した信仰者の姿です。神は聖書を通して、人がそのようになることを願っていると伝えています。そして、信じるものがそう成れるように、イエスは十字架の苦しみを受け、自発的にご自身を神の手にゆだねました。 -
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3/17礼拝
十字架につけられたイエスの話を理解するのには前提となる知識があります。一つは、イエスは無罪であること。ローマの法律(国の秩序)と、ユダヤの法律(宗教的)のどちらも、犯していませんでした。二つ目は、この出来事は過越し祭り中のことであり、イエスは過越しのいけにえとして十字架につけられたということです。過越しとは、出エジプト記12章に書かれていますが、エジプトにさばきが下るとき、いけにえの血を門柱と鴨居に塗ったイスラエル人のところは、神が過越し、さばきを逃れたということです。イエスは、人を神のさばきから救うため、いけにえとなりました。 -
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3/3礼拝
春になり、新たな環境へ移る方もいるでしょう。そうでなくても、心機一転、スタートする方も多いことと思います。アブラハムは、ロト家族が住んでいた町が滅ぶのを見た場所から、ネゲブへ移住しました。それは、ロト家族のことを思い、生くる甲斐もなしと落ち込んだからでしょう。 -
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2/18礼拝
ロトとその家族が登場するシーンは、今日の箇所が最後です。娘2人が、ロトの子を身ごもって終わります。ロトは人生の選択の折々で、神に信頼しない様に見え、今日の箇所も含めた結果により、その信仰は酷評されてきました。しかし、新約聖書では、ロトを義人や正しい人と評し(2ベテロ2:7)、悪く言っているようには見えません。ロトの素行は良くなかったかもしれませんが、その歩みは、イスラエル民族や私たちクリスチャンとよく似ていることに気付きます。それなのに、主がロトを愛し続けたことは、主に従いきれない私たちにとって、慰めと励ましなのではないでしょうか。
